尊過ぎて切ない

人間ではない家族への溺愛

正解か否か(使用済タイトルだった)


「オギャー」と産まれた時点で、
「寿命」は決まっている。
      (という思考を持っている)





となると、
「健康に悪いから」を理由に
好きな「物」「事」を我慢しなくていい?




そんな事はない。よね?

とは言い切れない。かな?






あまりにも突然に「親」をなくした。
(同情するなら「弁護士費用」くれ〜)








貯金とか将来とか老後とかは重視せず、
「毎日を楽しく暮らしたい」

旦那に言ったら賛同してくれた。








「現在」に「不満」のある人が、
「あっちを選択していれば…」の「時」に
戻れるという、
ドラマ仕立てのタモリさんの番組が
昔あった。


別の選択をしても
「やっぱコッチだったか〜!イェーイ!」
とはならないというオチ。






現実には別の方を体験する事は出来ない。


が、
「今」に満足せず、不満ばかりの人は
「別」の方でも同じではなかろーか?
と推測する。




岐路に立った時「良い」と思う方を選ぶ。


どっちしろ、良い事「だらけ」ではない。







自分の人生が、どうのこうのって
「終える」時にしかわからない。
とかいうけど…




私の母は「後から片付ける〜」と、
食器も洗わず…





「その時」
って「あの時に◯◯〜」とか、人生を
反省する時間あるのかなぁ?







好きな言葉は「老衰」(変かな?)


人間も人間以外も、
「その時」の年齢を聞いて
「老衰」だと救われる。






人は、
今 持っている条件の中で最善を尽くす。
しかない。