尊過ぎて切ない

人間ではない家族への溺愛

子供を持って

いつだったかも忘れた。


何で見たのかも忘れた。






「子供を産んだら、心の休まる日は

1日もない」


と、見た。





自分が子供を産んでいたかどうかも

覚えていない程の、昔に見た。






赤ちゃんの頃は、

ただ寝ているだけなのに 息をしてるか?

日に何度も確認した。



幼児期は、

ちびっ子が集まるサークルや買い物など

常に一緒だったけど、目が離せなかった。



ここまでは、「目の前」に居たから

まだいい。

気になる事はスグに確認出来た。




児童期、

幼稚園に行く。

1人目の時 急に1人になって何をしたら

いいのかわからず、掃除をしまくった。




学童期、

行き帰りさえ 自分で…





私の「手」は かからなくなったけど、

私は毎日 落ち着かなかった。





悲しい目にあってないか?

困った事はないか?

箸で「目」を突いていないか?

遊具から落ちていないか?

車が突っ込んで来ないか?etc…




同じ歳の子の親から

「そんなん 考えた事もない〜〜」

と、笑われた。






送迎もなくなって「楽」になり

自分の為の「楽しい」事が出来ると

喜ぶ人の方が多い。


しょっ中 遊びにも誘われた。





が、

「幼稚園」もしくは「学校」の番号が

電話機に表示されたら、電話に出ずに

速攻で向かう。ような性格。


家に居なければならない。

近くに居なければならない。



中学生、

一丁前に「部活」なんてするから

帰りの遅いこと遅いこと。




すれ違うといけないので、

歳の離れた下の子を連れて

歩いて行ってみる。

    ↓

「来ないで」と言われる

    ↓

2人で散歩しよるだけ。と言う。

    ↓

疑いの眼差しで見てくる。

一丁前に思春期。私だって経験済み。




高校生、

心配性の私も 気にしながらも

せっせと働いていた。




卒業後ひとり暮らし、

産まれて初めて「別に住む」


毎日毎日毎日毎日毎日 気になる。



ひと財産使った上に

ひと寿命縮まった。








その時々の「あるある」な問題も

ど〜にか こ〜にか乗り越えて

今に至る。




この先は、「よくやった」という

相手を連れて来るのか否か…



子を持つのか否か…




独身でも、

子供が居ない子供でも、

子供が「幸」なら「良し」とする。








我が子が「中年」になっても

私の「子供」に変わりはない。









年老いた私に手を焼いたり、

年老いた私を心配する子供を心配する。


私に「その時」が来た時の子供を

心配する。



が、

「やっと…」と、

ホッとしてくれれば、

子供を持って初めて私の

「心」が休まる。はず。







「子供」「子供」と何度も言って

「親バカ」丸出しになったが、

甘やかして「バカ子」にした

「バカ親」ではないと信じて〜