尊過ぎて切ない

人間ではない家族への溺愛

卵が先か ニワトリが先か

買い物に行くのは

「買う物」が あるから。

の 今。




前は、

「ウィンドウショッピング」という 

「買う物」もないのに ふらふら店まわり〜




「こんなんあったら きっと便利」

「あそこに置いたら きっと素敵」

と、

つもりなんて なかったのに

買ってた。



まぁ いいよ。



買うつもりなかった物が 買える。


「余分」な お金が あったのならね。




今は ない。




けど、

スーパーの袋パンとか

コンビニのチョイ高パンとか

もっと高いパン屋さんのパンとか


「余分」な物も 買う。





「大事」な物が 人それぞれ なら

「不要」な物も 人それぞれ。


「贅沢」にあたる物も 人それぞれ。







昔は、

今みたいに「便利」な物は なかった。


もっともっと昔は、

「服」だって なかった。




「お金」の存在が無く

「裸」で生活。



人が

そうして 生きていた時代が ある。らしい。


教科書で見たから そうなんだろ?




今 ある物は ほぼ無くても、

今 ある物の 98%無くても、

        ↑

     (勝手な推測)

人は 生きていける。わけね〜




だけど、

最初から そうだったら…って事よ。


無くてもいい 

98%に囲まれた経験を持つ人には 無理。

 ↑

私見





身ひとつで生活してた人々も

「こんなんあったら ラク

と、

どんどん増えていったわけね。物が。




ありがとう?


うん。そうだね。



おかげで

朝起きたら御飯炊けてるし〜

お弁当は「チン」で済むし〜

洗濯板でゴシゴシせんでいいし〜

見えない字は老眼鏡で解決〜



私も「ラク」させて もらってます。




フルの仕事ではないが

便利家電等を 利用する。


子供も成長し、

金はかかるが 手はかからない。



なのに、

それなりに バタバタ。




何かを 買う時

捨てる時の事を 考える。





「終活」をはじめてから わかった事。


手放していいか?を考える「時間」


分別の「労力」


処分にかかる「お金」



こ・こ・こ・こ・れ・は…



「時間」

「労力」

「お金」

3つ揃っとるやないの。



耳にタコでしょ〜?




この場合、

「スッキリする」は

見返りと なるのかな?



違うな。







贅沢品だった時を経て、

今は あるのが「あたりまえ」となった

炊飯器・冷蔵庫・洗濯機・テレビ等。



逆に今 手放す人も いる。



鍋で御飯を炊き、

その時食べる分だけを 買う。

ホウキで部屋を掃き、

洗濯板でゴシゴシして、


その後、

パソコンを 開く。わけね〜






丁寧な 暮らし?






しなくちゃいけない事が

溜まってる時は 雑に なる。


急いでいる時は 雑に なる。





丁寧に暮らすには

時間が かかる。




便利家電や便利グッズを持ってないって

「貧しい」とか「可哀想」

だけじゃない。はず。




不労収入が ある。とか


出勤退勤自由な 役員。とか


とにかく、

お金があるから「丁寧」に 暮らせる。

のじゃなかろ〜か?




実際、

丁寧に暮らす人の 本が出版されたり〜

いろいろ持ってない 珍しい生活が

TVで紹介されたり〜

お金になってんちゃう?

推測だけどね。




仕事に間に合うように 出るまでに

やっとかないと いけない事が

アレもコレも あるのに、

1個1個 丁寧になんか してられない。


むしろ、雑。




食洗機も

洗濯機も

乾燥までセットする。



コードレスの掃除機さえ面倒な時は、

粘着テープのコロコロで 済ます。





タイマーで 米は炊けてる。


切り身の魚を焼く。


肉を焼いたら

焼き肉のタレで 味付けの間違い無し。


カット野菜で まな板も包丁も いらない。


まな板や包丁を 使ったとしても

食洗機が 洗う。




挙げれば キリがない。


ほどの、便利な物に 囲まれた 生活。




便利家電や便利グッズを買う為に 働く。


働きに行く為に 便利が 必要。





なんか〜

どうなの〜?

 




「終活」を頭に置いての生活が 数年経つ。


「物の無い暮らし」を 理想としてる。





子供達が 無事に巣立ち、

犬猫が 無事に寿命を全うした後、


ずいぶんと 物が減る。はず。






この先ずっと私は 仕事をしている。

お金がないから。



旦那と2人になっても、

炊飯器に米を炊いてもらう。

食洗機と洗濯機に乾燥まで頼む。


ないと思うけど、

あぶく銭でも手にしたら

ロボット掃除機が ほしい。



大企業が 在宅ワークの中、

出勤して残業までしてきた旦那が

冷蔵庫を開けた時、 

冷えたビールが入ってる。方が いい。


会話もなかろ〜から TVも 必要。



だから、

炊飯器・冷蔵庫・洗濯機・テレビ等

ウチには必須。

むしろ、

働かなくちゃ。の 家だからこそ。





突然だけど、

「生理用品」が 無かった時代って…


想像出来ない。



けど、

「あった」便利を 取り上げたんじゃない。

「ない」のが あたりまえ。


だから、

ゆうて 大変では なかったのかもしれない。






「ない」からの〜

「ある」。






身ひとつで生きていた人間に比べたら

98%も「余計」なモノを持ち 生きている。

 ↑

私見



豊かになった 生活。


すさんでいった 人間。





「金」という 存在が 現れ、


1個1個増えていく「物」と

それに伴う 金儲け。


「物」だけでなく

増えていく 新しい「事」と

それに伴う 金儲け。




便利が増えた分

欲も 増えた。





「終活」が 日常的に 頭にある。


本当に必要な物しか 買わない。


本当に必要な物と思っても スグは買わない。


捨てる時の事も考えて 買う。


のに、

「あ〜 やっぱイランかった〜」

「コレで 代用出来たのに〜」

「我慢すりゃ よかった〜」

って事 ある。





「終活」云々ではなく 元々 捨て魔。




親を亡くした時の

親の物の 処分の潔さには

姉も白い目で見ていた。私の事を。



前にも書いたけど、

子供の頃から「執着心」が ない。


「物」は あくまでも「物」


親が亡くなったわけだから

親の物は もう必要ない。


親の物を抱きしめていても

それは親ではない。




ドライ?

冷めてる?

冷たい?




親のアルバムに手をかけた時

「全部引き取る」と、

姉が一冊残らず 持って帰った。



ホコリかぶって いた。

カビも あったかも しれない。



持ち帰ったアルバムを

ベランダに並べて干したそうな。




信仰心ゼロの私と

真逆の姉。



兄も含め

供養の仕方など

意見が食い違い

疎遠になっている。



考え方が 変わってないなら

姉は あのアルバムを 持っている。

今も 今からも。


自分の手で

処分しておかないと

姉の子に 残す事になる。





「親が 大事にしていた」

と 思う物は 処分しづらい。



たいして大事にしてない物でも

残していたら

「親が 大事に持っていた」

と 勘違いして 処分しづらい。




無駄に 心を 痛めさせたくない。


捨ててもいいのか?

考えさせたくない。


分別するのも 大変だろう。


処分する費用を 使わせたくない。



大事な我が子の

大事な

「時間」

「労力」

「お金」

を、使わせたくない。私の物の為に。





断捨離の番組で

「私が死んだら 全部捨てていいから」

と、何も捨てたくない親は 言った。


スッキリとした

心地良い家で

危険無く

暮らしてほしいと願う子に。




人から見たらゴミでも

本人には大事という物も ある。だろう。



間違いなく 

この先 使わないと わかっていても

捨てたくない。という物も ある。だろう。





だから、

自分の意思次第。





自分の手で 捨てきれないのなら

「イラン執着心のせいや

 無駄なもったいない精神で、

 物がいっぱいだけど、

 チェック無しで 処分して構わない」


「子孫に受け継いでほしい物など ない」

と、

一筆 残しておくと いい。

処分費用を 添えて。







私の親は

突然この世にオサラバした。



母は

食器洗いもしないまま。


帰って来てから 

洗うつもりだったから 仕方ない。


帰って来るつもりだった。

帰って来るのがあたりまえだった。



けど、

帰れなかった。





あたりまえに

帰って来る事が 出来なかった。

という 母の最後を

30歳になった時も

40歳になった時も

50歳になった今も

受け入れて ない。



けど、事実

出掛けただけなのに

帰って来れない事が あった。






私は 出掛ける時は

全て済ませて 出る。





から、

便利家電や便利グッズは 必要。




だから、

便利家電や便利グッズを買うお金が 必要。






旦那ひとりの為に

今から晩御飯を 作る。




すり鉢なんて いらない、

ポンと鍋に入れるだけ「つくね」

が、時短になる。


好きな味が選べる、

ひとり分1個

ポンと鍋に入れるだけ「鍋スープの素」

が、助かる。


食洗機に入れられる、

旦那ひとり分にちょうどいい大きさの「鍋」

に、ラッキー。


野菜切る「私」

は、嫌々。