尊過ぎて切ない

人間ではない家族への溺愛

救いようのあるク◯野郎「なら」生き直すチャンスもある

「空」を 見る。


毎日。







愛犬「ポチ(仮名)」の散歩の為。



と、

自分の抱えてる事が「小さい」と

思う為。







イラストも

写真も

色も

何もない「字」だけの

「ここ」を、

書きはじめて「公開する」を押すまでに

何日か かかる時が ある。




天気とか

話題とか

見てくれた人が「?」って

なるかもだけど…申し訳ないです。






今、

職場に1時間半以上早く来て(バカ)

「空」観察中。




散歩にもってこいの

降らないであろう曇り空。



散歩済んどるけどね〜






「広い宇宙の中では、

自分の悩みなんてちっぽけだ」とか


「海を見ていると、

自分の悩みなんて馬鹿馬鹿しい」とか


言うじゃな〜い。







そんなふうには

思えない。

極小の器しか 

持たない。





宇宙規模で考える事ではないし、

広い海や空と比べる事でもない。





関係ない人からすれば

笑っちゃうような

ちぃ〜さな ちぃ〜〜さな

「問題」や「悩み」だとしても

本人からすれば

海よりも

空よりも

宇宙よりも

「大きい」わけよ。






私の人生では 主役は私。






私の事を知ってる人が「わずか」だとしても

私が主役なわけで、

私が目にする人は

芸能人

有名人

著名人

だとしても

私の「脇役」な わ〜け〜



私の人生「では」ね。



全ての人が そうだよね。








TVで活躍されてた人達の

ショックな出来事から

1年程 経つのか…?




綺麗すぎる見た目。

引き込まれる演技。




誰か、

助けてくれる人は 居なかったのか?


誰かに、

助けを求める事が 出来なかったのか?




周りには、

いくらでも人間が居たであろうに…





いくらでも居た人間が、

「そこ」に居る 理由は様々だからね。



いくらでも人間が居ても、

心を開いてもいい人間は

1人も居ない。

とかも あるかもしれない。






「抱える問題」

「悩み」

は、

本人の「解釈」で

「大」にも

「小」にも なる。




本人以外には 

わからない。

決められない。





人様に「無責任」な事は 言えない。


人によって「捉え方」は 違う。


同じ言葉でも、

言われて「嬉しい」人もいれば

「嫌」な人も いる。






人と「関わる」のは 難しい。







前回、

イジメ記事についての「私見」を 述べた。





今話題の

イジメした事を「武勇伝」としていた人物や

その従兄弟。



世間では、

その人らについての 様々な意見が ある。






人の「意見」は、わりと聞きたい。


自分と違う「意見」は 興味深い。



「そんな解釈もあるのか」

と。







自分で「変わろう」と思えば

人は変われる。

と、

思う。



が、

1度 何かを「やらかした」ら、

その後ずっと

「前、あんな事した人」

「あんな事を する人」

「そういう 人間性

と、

思われても 仕方ないかもなぁ?

とも 思う。





1度失った信用は

取り戻すのに時間がかかる。

と、

聞くけど



「取り戻せない」

わけでは ない。



反省して

改心して

からの言動・生き方次第では

「そういえばそんな事 あったね」

「あ〜ゆ〜事したの 忘れてた」

「人間が 変わらしたね」

と、

「悪さ」した事が 薄まる事も ある。


「悪さ」の「質」にも よるけど…





とりあえずの

上っ面だけ反省した「ふり」とかだと、

そうは いかない。


「ふり」

では 人の心は 動かない。


自業自得。





矛先が「家族」に向かうのは

許されない事ではあるが、


「因果応報」



家族が大事。

我が子を守りたい。

なら、

正しく生きる「しか」ない。


「因果応報」


とても怖い。








イジメでも その他でも

「被害者」の方は、

「加害者」の事・された事

を 忘れる事は ない。


時折、鮮明に思い出し 苦しい。




加害者は

「反省して もうしません」

「改心して やり直し」

と、

「リセット」する事が 出来る。


生き方を変える「チャンス」が ある。




が、

「被害者」は

言われた事・された事に

「やり直し」は ない。


ク◯野郎からの言動を

「リセット」出来ない。





どこまで行っても

損「しか」ない。






加害者には、

職を失う。

財産を失う。

社会的制裁を受ける。

とか、

自分が「イラン」事したせいで

何かを失い「損」してほしい。

とか 思う。




極小器?




精神面で、快適な生活を奪われた

「被害者」の「損」に比べたら

甘過ぎでしょう?




ここまでは、

「変わろう」とする場合の

「加害者」の話。


「変わろう」とする

「加害者」でも 許しがたいのに〜



「は」の字も

「ん」の字も

「せ」の字も

「い」の字も

ない。

「加害者」も おる。


実際 こっちが多かろう。




強く そう思う。

極小器で いい。





「そういう事が、出来てしまう人間」

と、

インプット される。







人と「関わる」のが 嫌になる。








気配を消して

生活している

アラフィフには、

「ここ」は

居心地が いい。





来てくれて ありがとう。

見つけてくれて ありがとう。





一体、どんな人が「ここ」を?

と、

ニヤけながら

ポチの散歩の為に 空を 見る。




ク◯野郎は

空にリンク しない。


自然の偉大さに 感謝。