尊過ぎて切ない

人間ではない家族への溺愛

親の再婚相手って 親かなぁ?

前回は、

カッカして

アルバイトに行ってしまって

申し訳ありませんでした🙇‍♀️













「人は 1人では 生きて いけない」

と、

何度も 聞いた事 ある。





「ひとり暮らし」

とかの 話では ない。と、思う。





水道企業団

電力会社

買い物先 他




「生きる」為に 

必要不可欠な「モノ」の供給に

「人」が必要。







無人島とか

山奥とか

100%「自然」暮らしの人は

人の手を 100%  借りてないのかな?



完全なる自立〜






細か〜い事やら

屁理屈やら 除けば

そういうことかもね〜






無人島とか

山奥とかの ひとり暮らしの方は

そっとしておいて





住宅地で暮らす人の話なんだけどさぁ〜


「支え」って 欲しくない?



側でなくても、

人でなくても。





恋愛系の 好きな人。


尊敬の意の 好きな人。


会う事もできない 有名人。


モチベーションの上がる

持ち物や趣味。





誰か?

何か?

は、それぞれだけど


チョイとしたストレスとか

ものすご しんどい時は



側に居る 誰かに慰めてもらったり

スグには会えない人と 電話やラインしたり

絶対会えない人の 写真を見たり

好きな物を いじったり



何かしらに 癒されたい。







「惚れた晴れた」の

「恋愛系」を 好まない。




ドラマ・映画・本等の 作り話でも

実際の 身近な事でも。





「これだ!」という

トラウマが あるわけでは ない。





だけど、


誰かを 好きになる。


好きな人と 一緒に 居たい。


は、理解 出来る。









経緯は 様々だろけど



縁あって 結婚して

訳あって 離婚する。


この「2行」の間に

子供が出来た場合の 話。








私の友達は

お父さん側に 引き取られた。






お父さんが 再婚した際


お父さんの 再婚相手を


「お母さん」として 受け入れた。


正確には 受け入れようと した。




が、


お父さんの 再婚相手は


お父さんの 「妻」になっただけで


お父さんの子供の 「お母さん」には

             ならなかった。


正確には なるつもり なかった。






社会人になってた私と 

同い年の その友達は 大学生。



その時代に

こんな田舎で

「4年」の大学に行く

女子は そんなには多く なかった。






お父さんに引き取られたんだけど


お父さんの再婚相手を受け入れたんだけど


おばあちゃんと 暮らして いた。






何の目的もないのに 4年大学。


目的がなかったからこそ

それを見つけるまでの 時間稼ぎの

4年大学。




どっちしろ お金は かかったろう。





詫び?





お父さんは

一緒に暮らしたかった。


お父さんとその子の願いは 同じ。




なのに、

後から加わった1人の願いが 叶えられた。






「悲しかった」

「寂しかった」

成人してる 友達から 出た。




おばあちゃんに 

大事にして もらったけど。


お父さんからの

「援助」は じゅうぶんだったけど。





昔から よくある

「継母」からの「イジメ」を

回避出来て よかったんじゃない?


お父さんは それを察知してたんじゃない?




とか、思う。しかない。





我が子を受け入れない。

そんな「異性」に惹かれるものなの?









離婚した、

お父さんの「原動力」「支え」には

その友達では ならなかったんだろうね。








自分に置き換えたら

「子」が1番の原動力に なる。


ひもじい思いを させない。

必要な物は 買ってあげたい。

たまには余分な物も 買ってあげたい。





支えにも なる。


この子達の為に…と。


しんどい時、踏ん張れる。






が、

我が子じゃ ダメな人も 居る。



「異性」が必要な人も 居る。



本能的な事も あるだろうし。




悪い事では ない。


父親も母親も ただの人間。


が、

されど、父親。

されど 母親。


「自覚」「責任」は必須。






「異性」の存在が

心の支えとなり 

毎日 生き生きと

頑張れるのなら 良い事。





が、

「有頂天」に なっては いけない。



「依存」しては いけない。






オシャンティーなお母さんなら

子供も嬉しかろう。


お父さんだって

カッコいい方が いいよね。






だけど、

ただの「女」

ただの「男」

になるのには どうかと 思う。






「母親である前に

ひとりの人間であり ひとりの女である」

という 文言。





全くの私見だけど、

いやらしさを 感じる。(いろんな意味で)





私が

「ザ・昭和」の

「ザ・母ちゃん」だからかなぁ?







「子供を産んだ その瞬間から

この世に オサラバする瞬間まで


心穏やかな時間は ない」



と、

何かで見た。

と、

言った事が あったと 思う。






我が子の事は 常に頭にあり

年齢に関係なく 心配を する。





幼いなら

なおさら。







手を離しても いい。

目を離しても いい。

集団生活を させる。

ひとりで 居させられる。


順々に お互い 自由に なれる。




が、

心・気持ちは 

いくつになっても

様子見したい。










手や目が離せて、

一緒に行動する事がなくなり、

「母ちゃん 好きなように しなよ」

と、言われるようになり


とりあえずの「母親業」がなくなった

ザ・母ちゃんは



常には無理でも

困った時とか 悩んでる時位は

子供らの「支え」に なりたいのだ〜





新たな「支え」が

登場するまでね。



新たな「支え」に

辛い思いをさせられる事だって ある。





いつまでも

母ちゃんが、力に なりたい。









おばあちゃんと暮らしてた 友達。



誰もが認める「人間性」だった。


拗ねたり、

ふてくされたり、

曲がったりせず、

置かれた状況を

「仕方なく」受け入れ

真っ直ぐに 成長 した。






置かれた状況は残念だったけど

「環境」は 悪くなかったんだと 思う。




おばあちゃん

お父さん

ついでに 私、

良い 人間に 囲まれて 居た。





おかしな人間は

後から加わった1人『だけ』

だった事が 幸い。







私より 

ずっと早くに 結婚して

ずっと早くに 母親に なった。



幸せでいる。

という事は

「褒められる」事で ある。