尊過ぎて切ない

人間ではない家族への溺愛

人のお金は大事に使わなくてもいい?

オリンピック開催国には

莫大な経済効果が ある。(んだろ?)





オリンピック開催に向けて、

建てる施設・整備する公的な場所等

◯の数が多過ぎて 数えきれないほどの

金額が 使われる。





「ザ・税金」







1円残らず

私らの労働に対して貰ったお金〜





私らの労働に対して貰ったお金を

私らの許可を「得ず」使い

オリンピック開催の準備をし、

「得た」経済効果の「還元」って

どうなってますか〜?






様々な

「免除」「支給」に

ギリギリ該当しない低所得。


どんな世の中の時でも関係なく

生活は苦しい。不安。










ここいらで 

なかなかの偏差値の高い

歴史の浅い高校が ある。





その高校に土地を売った親戚が いる。




私の祖母の妹。




私は当時、 

実家暮らし〜

景気の良い時代〜

遊ぶお金に困ってもない〜




全く興味を持たなかった

私には関係のない 話題。



だけど、

ひとつだけ覚えてる。






祖母は5人姉妹。


祖母の親は

末娘に婿を取らせ 全て託した。




託された中に 売れた土地が あった。




土地代を手にしたのは 末娘。


それに群がった姉に

お金を渡す時「投げた」そうな…





託されたかもしれないが、

親の財産なので

5人姉妹で分ければ いい。



等分にしなくても いいし。




「いくら」かは 聞かなかったけど

末娘が投げ

姉が拾った。





祖母は

もらわなかった。





今思えば、

貰えばよかったのに…と 思う。



下品極まりない渡し方でも

拾って

懐に入れてしまえば、

労働して手に入れたお金と

区別は つかない。




一見

区別はつかないけど、

「破けば血の出る」

お金か否か…


重みは 違う。かも?





「健康」

「時間」

の次に大事な「お金」。





いかなる場合も、

いただけるのなら 遠慮は しない。







私は「ケチ」では ない。



お金への「考え方」

お金の「使い方」が

「男前」

と、言われる。




が、

納得出来ない「物事」に対しては

「1円」も 出したくない。





「納得出来なくても この位の金額なら

仕方ない…」

とか、思わない。



逆に

「無駄になるかも?」

って可能性のある物事にでも、

大きな金額を出す時 ある。







自分の労働に対して貰ったお金を

何に?

いくら?

どうしようが、

人それぞれの 勝手であり 自由である。


家族とか

関係のある人が 承知すれば…だろうけど。








自分が労働したのに…


親が残してくれたのに…


お互い承知して貰ったのに…


努力して手に入れた家に…



何で?

税金?

この物事に首突っ込まんで!

と、

腹立つ。





わっしょい

わっしょい

税金

わっしょい




次年度の予算が減らされぬよう

何が何でも使いきれ〜









汗かいて

塩っけ欲した〜

セブンのレジ横の

「皮付きポテト」欲した〜




が、

愛犬「ポチ(仮名)」の為に

いろはす」だけ 買った…











使い道が正しいなら

文句は ない。




書ききれないから

ひとつだけ例をあげるとすれば、




老老介護」問題に胸が締め付けられる。

のに、

建て替えされた

最寄り役場「御殿」過ぎ。






そういう事〜









オリンピックの開催に

「賛成」も「反対」も ない。

ほど、

無関心。





唯一、

「卓球混合ダブルス」

の決勝戦

たまたま点いてたTVで 見た。




目を離さず 見ていた。

全力で 応援していた。





「スポーツ」で、

いや 「勝負」では

「メンタル」が重要な事を 経験している。




水谷選手の

「技術」「自信」「メンタル」

に、

感動した。



もちろん、

美誠選手も素晴らしい。

相手ペアも強かった。




ええもん 観させていただきました〜






が、

わっしょい税金の事を

許したわけでは ない。


 


が、

ちゃんオバが許さなくても

何も 変わらない。



そういう事〜





理不尽「しか」ない

わっしょい世の中を、 

皆必死で 生きる。しか ない。

一部を除く。