尊過ぎて切ない

人間ではない家族への溺愛

③残念過ぎたハウスメーカーと私

ずっと「ここ」に来てくれてる方は

ご存知の通り、



既存のウッドデッキに

「猫の脱走防止」の囲いを

付けたい 付けたい 付けたい 付けたい

と、

ず〜っと 思って いる。






まだ 付けて ない。





お金を「くれる」という

摩訶不思議な方から

貰う方法も わからないから

自分で「出そう」と、考えを あらためた。






外構屋さんを回ったり

外構屋さんに相談したり

動きましたよ。



「外」を感じる

愛猫タマ(仮名)を想像して。






で、

頼んだよ。





外構屋さんから、

柱を立てるにあたり

地面に何かないか?

「図面を見せて」と言われた。

「水道管・電気配線」の 確認に 必要。と。

    ↓

旦那に「図面 出して」と 言う私。

    ↓

私に「図面 無いよ」と 言う旦那。

    ↓

ハウスメーカーに電話した 私。

    ↓

事情を 丁寧に 説明した 私。

    ↓

H「図面は ありません」

私「地面の下の事 わからないんですか?」

H「多分 ◯◯だと 思います」

私「多分で 大丈夫ですか?」

H「掘ってみないと わかりません」

 「気を付けながら 掘って下さい」

私「掘るのに お金かかりますよ」

 「堀直しにも お金かかりますよ」

H「そうですね」

私「ウチの図面だけ 無いんですか?」

H「いや、お渡しして いません」





感情無く

淡々とした口調に

余計 腹立つ。



家建てた後も

「何か」をする時は

自分の所で させようという こんたん。




ザ・囲い込み〜




「責任の所在」という言葉を

何度も 聞いた事 ある。




ザ・囲いこみ〜









「バーカ」

「バーカ」

「バーカ」

「バーカ」

と、

子供でも 今は言わなそうな言葉を

心で連呼しながら

電話を 切った。



「わかりました」

以外の 言葉の選択肢は なかった。








打ち合わせ。

施工。

アフター。

そして今回の事。

どこまでも

いつまでも

私を不快にするのが得意な

「大手」ハウスメーカー








ちなみに、

大きな「地震」の後も

音沙汰なし…


よそのハウスメーカーは 

早くに連絡してきたそう。







キッチンの流しの下のパイプのトコなんて

止めなきゃいけない「ネジ」を

1本も 止めてなくてさぁ〜


そんなん知らんで

「臭っ」って

何本パイプスルー買った事か…

何日連続でパイプスルーしたか…




家を建てて 数年後の事ですわ。








台風前に屋根材飛んでも

台風後の対処。




屋根裏が どうなっているやら…







全部は書ききれないけど、

「大手」過ぎるハウスメーカー

残念過ぎとります。






1番の残念は

ク◯人間が近くに居るような

土地を紹介した事。




知ってただろ〜








それでも、

子供ら

ポチ(仮名)

タマ(仮名)

ついでに旦那

皆 元気な事に 「感謝」しか ない。




「健康」より大事なモノは ない。



2位は「時間」

3位が「お金」




「健康」

「時間」

は、

「お金」で 買えないから

お金持ちの人も 気を付けてね〜



ワンチャン

「時間」は

「お金」で

買える場合も あるけどね〜





食洗機とか

洗濯からの全乾燥とか

そうだよね。







7〜8割の「不満」よりも

2〜3割の「感謝」が 大きい。





そんな自分に ご褒美は 毎日のパン。

(スーパーのパン売り場の菓子パン

      108円+税までの 2個)








幸せに暮らした犬猫を 看取り


無事成長した子供達を 巣立たせ


義両親が寿命を 全うしたら




バックひとつで「賃貸」へ 引っ越す。







あっ!!


旦那 おった。


旦那 どうしよ。






「来てもいいけど

荷物は バックひとつ分だよ」

と、

伝えては おこう。










「人生で1度きりの 買い物」


「一生暮らす 所」




そんな理由のせいで 苦しむ事が ある。






が、

お金持ってる人には

どんなに大きな金額がかかる事でも

1度では ない。


だから

一生では ない。





お金持ちじゃなくても

「ソレ」が出来る「程度」の

金額に すればいいのに。




アホみたいに バカ高くて 嫌になるよ。








本当に

絶対

間違いなく

1回きり「しか」ないのは

人生なんだぞ。







「こう」じゃなかった。

「コレ」じゃなかった。

と思った時は

やり直すチャンスを もらいたい。