尊過ぎて切ない

人間ではない家族への溺愛

偉いとは

昨日、最後に


「偉い方」と書いた。


仕事中 ずっと頭の中にあった

自分が書いた「偉い方」。


「緊急事態宣言」

「◯◯にいくら」

「◯◯を要請」


を決める人達を指した。


1人では決められない。

様々な関係者が話し合って決まるんでしょうよ。大勢でね。



私が 家族・職場の人・友達に


「えらい」と言うのは



「自分がせんでいいのに」

「別に知らんフリでいいのに」等、


「わざわざ」良い事をした人に対して使う。


「物事」をサササササーっと

「さばけた」人にも使う。



「お偉いさん」


なんて言葉、よく聞く。


※顔も知らん会社の上〜〜〜の人

※「先生」と呼ばれる職に就いてる人

※「国」を仕切ってる人…等等


自分を「犠牲」にして

自分の「損得勘定」なしで

良かこつしたこっあっですか?



「いばる」人は

「えらく」ないよ〜





「1度でも口にした言葉は引っ込められない」


という思考を持ってる。


でもでもでもでも…

「偉い方」の所

「決める方」に変更させて下さい🙇‍♀️



だって、どう考えても

ウチの子達の方が

「偉い」事してるから〜


(バカ親ではなく、せめて親バカでお願いします)