尊過ぎて切ない

人間ではない家族への溺愛

捨てた思い出

「火事」で怖いのは、

「アルバム」が燃えてしまう事。だった。





「執着心」のない私の持ち物の中で、

唯一失いたくないのが「アルバム」。





とある「事件」のせいで、

火事でもないのに

「アルバム」をなくした。






「事件」のせいにしたが、

自分で処分した。















「自分」が「身軽」になれば、

「ここ」から逃れる事が出来ると思った。










元々、物がない「スッキリ」が好きで

よそ様のお宅に比べたら

「たくさん」の「物」はなかった。








「身軽」になるには「アルバム」を

処分しなければ!!となってしまった。

          (何でだろう?)










「子供が結婚する時、写真がいるかも?」

と、職場の人に言われ セーフ。




確かに、「子供」の「子供の頃」を

全捨ては躊躇した。









私の、それはそれは可愛らしい

「誕生」の時や「小さい」頃の白黒の写真を捨てた。


「春菜さん」バリの成人式の写真、

結婚式、各学校の卒業アルバムを捨てた。




子供達の写真も1割程残して捨てた。






仕事休みは その事に時間を使った。








貼るタイプのアルバムから、

長年貼っていた写真を剥がすのに

ものすごい音が出る。



延々とその音を出す私は、

ものすごい顔をしていたであろう。





剥がした写真を延々とシュレッダー。




「手」と「涙」が止まらない。










可愛い盛りの私を撮ってくれた。

お金をかけて成人式を祝ってくれた。

若かりし日の両親も写っている。


オッサンになった旦那も若い。

私の貴重な「ド派手」時代もある。


子供達の写真、似たようなの連写で

どんだけの量だったか…








「スッキリ?」

「身軽?」








「良心のない」で、

解釈が間違ってないとすれば

私は「サイコパス」。









何を思うかわからない。

何をするかわからない。




「1度」も、心を壊してはならない。








「身軽」になってない。


変わらぬ「現状」。









「アルバム」が、

一冊も残っていないだけ。