尊過ぎて切ない

人間ではない家族への溺愛

自分が決めればいい 勝ち組か否か

私が入る前に 辞めた。

という 職場に居た人の 話。






「お金を貸して」と

いろんな人に 頼んでた。そうな…





当然、

貸してくれない人が ほとんどだった中

「貸していた」という

本人から聞いた 話。








貸していた人は 運転免許を 持たない。



通常 チャリ

雨天時 バス

で、通勤している。






職場で、

「貸して」と言われた時

「手持ちが 無い」と答えると


家まで車で 乗せて行ってくれた。そうな…





家を知ったもんだから

家に来て、

「貸して」と言われた時

「家にも ない」と答えると


銀行まで車で 乗せて行ってくれた。そうな…






貸さなかった人達が 上司に相談して

注意を受けて 居づらくなって辞めた。

のか?

辞めるように 言われた。のか?



どっちか?わからないけど、

実際に 職場を 去った。



人に 借りたい位

お金に困っていたのだろうに

「職」を 失った。






貸していた、運転免許を持たない人は

ド・天然な 良い人。








他人に お金を貸してくれるような人は

親切な 良い人。



なのに、

お金を貸してくれた

親切な 良い人は、

借りた人からすれば

借りた時点で

「ウザい」「けむたい」存在と なる。



「返して」と 言われなくても

「借金取り」

という

「会いたくない」存在と なる。








ドラマで、


刑事「何で 殺した?」

犯人「返せ。と言われて…

   殺すしか なかった…」


って 何度も見た パターン。




貸してくれた ええ人やんか〜

返すの 当然やないか〜













特別「裕福」ではなくても

「貧しい」と 思う事なく 育った。私。


我が子らも そう思って育った。と思う。






前にも書いたけど

知らない人からは「1円」だって

貰えない。




だけど、

知っている人なら

貸してはくれるかも しれない。

1円は。


10円は どうかな?




私なら

500円までなら

貸せる。



けど、

返っては 来ないと思って 貸す。

あげるつもりで 渡す。(言わんけどね)



相手との 関係にもよるけど

親しき仲にも…

だから 貸し借りは 好かん。




経験ないけど

1,000円以上の借金を申し込まれたら

「1,000円あげるよ。でもサヨウナラ〜」

って 言う。

って 決めてる。




アラフィフになってからよ。

この域に 達したの。









バブル期の

馬鹿者の

若者だった時に、

人の借金背負わされて

サラ金

わっせ・わっせ

と、毎月払いましたよ〜



責任感の強い私は

完済しましたよ〜

(馬鹿だからそんな目に遭ったんだけどね)





そんな目に遭った

馬鹿娘に

親は、何も 言わなかった。



何も言わずに、

家に置いて くれた。

御飯を食べさせて くれた。



そのおかげで

働いた分を 返済にあてられた。



わっせ・わっせと 働いた。

赤の他人の 借金の為に…








可愛い我が子が

2度と そういう目に遭わないようにと

かましく 言って聞かせる事を

しなかった両親。




私が、

2度と そういう目に遭わないように

自分で「なる」方に 賭けたんだと 思う。



両親は その賭けに 勝った。





全ての「良い」方向へは

本人の「気付き」しか ない。







手を引いてもらって避けられた

「いばらの道」は

手を引いてもらってる時しか 避けられない。





私は

私の両親と違って

我が子らが

「いばらの道」を通る時、

通るたびに 手を引きたい。



2度と…

ではなく

1度たりとも

酷い目に 遭わせたく ない。




手を出し

口を出し

可能なら 金も出したい。




が、

成長する子供達とは

共有する時間が 減るばかり。




共有する時間だけ 手を引いて

後は自分で。では 困る。可愛い我が子が。









人は 自分の経験から 出来ている。



が、

人は 想像する事も 出来る。




「こうしたら こうなる」

「コレは やめた方が いいかも」

「ソレ ヤバくね」

と、推測が 出来る。




その「想像」や「推測」も

何かしらの「経験」「体験」から

来ているんだろうけどね〜







誰しも 我が子は 可愛い。大事。


「やらかした」時は 助けたい。





が、

助ければ

「痛い目」に 合わない。




やらかした本人が

「もう懲り懲り」と、

身をもって 経験しなければ ならない。

身に染みて 反省しなければ ならない。




でなければ、

何度も やらかし

その都度 親が 尻拭い。

を、繰り返す。





懲りない馬鹿は 居る。




自分自身が 

1円でも 手に入れるのが難しいなら

親だって 苦労して1円を 手にしている。

のが、わからない 馬鹿は 居る。

(ウチの子じゃ ないよ〜)





金の成る木

が、自分ちに あるとでも 思っている

馬鹿は 居る。

(ウチの子じゃ ないからね〜)







そんな馬鹿が 我が子なら

自分が そんな子にした。

と、

諦めるしか ない。のか?な?





子の年齢にもよるけど

親が 気付いた時点で

考え方・やり方を 変えた方が いい。



「気付き」の無い親ならば

「気付き」の無い子でも 仕方ない。







けど、

どの時点でも

どんな人間も

気付いた瞬間から

「やり直し」は 出来る。

と、思っている。

というか、思いたい。





が、

自分では

どうにもならない事も ある。





自治体とか

公共機関とか

「国」が助けてくれなければ

どうにもならない事も ある。






けど、

助けてくれないんだよね〜これが。





この世は

「権力者」「金持ち」

のみが 得をするように 出来て いる。

からね〜

(一応言っとく。私見です)







個人で

やれる「しこ」

やって行くしかないわけよ〜







「権力者」だろうが

「金持ち」だろうが


人生が 1度しかない。


ただ 1度きりの 人生。


というのは、


可愛い・大事な我が子と 同じ。











権力もお金も 持たないけど、


貧しさが 身に染みない。


リスクを背負わない。


「それなり」の「生活」が出来れば、


「人生 大成功」。


むしろ「勝ち組」と 言っていい。


と 思う、

可哀想な(いや、幸せ?)

アラフィフの ちゃんオバです。







バブル期の

馬鹿者の

若者だった時に

背負わされた

赤の他人の借金。

サラ金2ヶ所 計350万円。

        ↑

     ハッキリ覚えてないので 

         少なく見積もってます。




30年程前の「300万円」は

現在よりも 価値が「低い」感覚で 謎。



今現在は「1円」から 価値がもう 高い。





だけど、

「300万円」は 間違いなく 大金。



消えて無くなっても いい

「あぶく銭」

では ない。



わっせ・わっせ

「証」であり、



私の学びに必要だったのであろう

超高額な「勉強代」で ある。