尊過ぎて切ない

人間ではない家族への溺愛

成敗出来ない 悪人

去年の 夏前の 話。

 

 

 

 

なかなか、書けなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生で はじめて

「救急車」

を 呼んだ。

 

 

 

深夜

主人が痛みを訴え 動けなかった。

 

 

 

 

 

「近くの病院へ向かう」

と言われたので

「後から行きます」

と、

一緒に乗らなかった。

 

 

 

 

 

 

「女性は」と言おうとしたけど、

人の事はわからないから

「私は」に する。

 

 

 

 

私は「冷静」だった。

 

 

 

まず、

救急隊の人が

玄関やら開けっ放しにするだろうと

到着前に「猫」を2階に 閉じ込めた。

 

パニックになるだろう「犬」と一緒に。

 

 

 

 

主人を乗せた

救急車が行った後、

朝に学校へ行く子供のお弁当を詰めた。

 

 

朝にならないと炊けない御飯は無しで

自然解凍の冷食のみ。

 

 

 

 

寝ぼけてる子供に

目覚ましをかけさせ

朝御飯・弁当の説明をして

 

 

朝 出すはずだったゴミを出して

病院へ向かった。

 

 

 

 

意識がない。

とか、

「ソレ」どころじゃない場合は

そんな事 出来ない。

 

 

 

「ソレ」どころじゃない場合は

犬猫が外に出てしまうのか?

 

 

 

「ソレ」を防ごうとするのは

「そんな事」

なのか?

 

 

 

主人が家に帰って来ても

犬猫がいなくなっていたら…

 

 

万が一、主人に何かあった時

犬猫もいなくなっていたら…

 

 

 

病院のイスに腰掛け

頭の中が「グルグル」に なった。

 

 

 

愛猫タマ(仮名)の鳴らす

「グルグル」が 愛おしい。

 

 

 

いの一番に「閉じ込めて」

よかった…よかった…本当に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「救急車」

「救急隊員」

に、

「嫌悪感」というか

「不信感」というか

とにかく

「嫌」

な感情が ある。

 

 

 

 

 

もうすでに、

言い過ぎているが

これ以上言えば

犯罪者が バレる。

 

 

「バレろ」

と思うが、

バレてはいけない。(んでしょ?)

 

 

 

 

 

絶対呼びたくない。

絶対乗りたくない。

 

と、

思っていたけど

必要な時が ある。

 

現にあった。

 

 

 

が、

義両親は

呼ぶべき時に

呼ばなかった。

呼べなかった。

 

 

 

具合が悪くなった80代の義父を

80代の義母が、深夜2時頃

病院へ乗せて行った事を

後日 聞いた。

 

 

2度 あった。

 

 

 

その行動よりも

「救急車」

「救急隊員」

の方が 怖かったって…

 

 

そんな事 あっていいわけ ない。

 

 

 

 

ひたすら、

納税。

 

 

義母は高齢になるまで

「フル」で働き

「フル」に納税。

 

 

 

 

義務だけ果たさせられ

権利を受けられない。

   ↓

勝手に使わないだけじゃん?

   ↓

そりゃそうかも。

 

が、

ソレに至る「経緯」が ある。

 

 

 

 

 

「なぜ?」という

この言葉に「支配」されてきた。

 

今現在も然り。

 

 

 

 

なぜ 1年半もの期間、そんな事してた?

 

なぜ ソレした?

 

なぜ 罪に問われない?

 

なぜ 謝罪弁償しない?

 

なぜ 今まで通り?

 

なぜ まだ そんな事する?

 

なぜ?

なんで?

わからん。

理解不能

 

 

だろうね。

理解出来るなら「同類」。

 

 

 

 

「どちて坊や」ほど

ウザくないけど、

疑問に思ったら

質問したいタイプ。

 

 

 

が、

この場合

質問する相手が居ない。

答えてくれる人が居ない。

 

 

 

 

 

その頃

ヤフーニュースで

恐ろしいニュースを 見た。

 

5人目がお腹にいる

4人子供がいる夫婦が

下2人を虐待で、3人目の子が…と。

 

 

 

 

夫婦の過ごしてきた「環境」

夫婦の上2人の子供の「環境」

 

 

 

 

 

終わらない。

繰り返される。

 

 

人は人を 変えられない。

 

 

考えを変えてない人には

「手」を差し伸べても 無意味。

 

 

「正」を知らない「環境」。

 

 

 

 

 

さかのぼっても 始まりは わからない。

とにかく「ずっと」前からだろう。

 

 

とにかく「ずっと」続くと 推測される。

 

 

 

「正」のない「環境」を 不憫に 思う。

 

 

が、

周りを見れば 何が「正」か?

わかる事も ある。

 

 

が、

わからんとイカン人ほど

わかろうと せん。

 

 

 

そういう一族は、

ソレでいいんよ。

ソレがいいんよ。

   

 

 

 

 

 

「真」の「幸」が わからない。

 

我が子の「幸」を 間違える。

 

 

 

「十人十色」と同じ意味を持つ

沢山のことわざがあるけど

「人数分の考え方が ある」

とかの話では ない。

 

 

単純に

常識があるorない…

普通か否か…

あたりまえか じゃないか…

 

言い方はいろいろあるけど

「2択」。

 

 

 

 

人口どんだけか?

正確にはわからんけど、

こんだけ居れば

「正」のない環境から抜け出した。って

人も居るはず。

 

 

渡る世間の為、

「口先」だけ〜とか

「芝居」してる〜とか

ではなく、

考え方自体が 変わった。

 

という人が

たくさん居たら いい。

 

 

 

が、

ぐるり360°自分を囲む人間達と

違う考え方をする事が出来るのか?

中に入っている人間には 難しい。

 

 

◯◯の連鎖。

 

◯◯に当てはまる言葉がいくつか ある。

 

断ち切るのが やはり難しい

と、言われている。

 

 

が、

国・市町村・他にも

その連鎖を断ち切る為に存在する

「組織」「制度」が ある。

 

 

よく聞く「◯◯の連鎖」の場合は。

 

 

 

 

 

 

 

厄介なのが

「非常識」の連鎖。

 

 

 

 

 

 

「国」

の「補助」「免除」「支援」とかで

どうにかなるモンじゃない。

 

 

「最強」かつ「最悪」な厄介。

 

 

 

 

 

 

見渡してみて。

 

夫婦揃って〜

親子して〜

きょうだいで〜

家族総出で〜

 

 

「普通」って何?

という人間、居ませんか?

 

 

 

 

 

居ない?

 

なんという幸せ者ですか。

羨ましい限りです。

 

 

 

 

居る?

 

やっぱりね。

 

 

 

 

 

 

 

 

「解決」なんて しないよ。

 

 

 

 

 

可能なら 離れて。

 

可能じゃないなら 我慢しか ない。

 

 

 

 

「力」「金」を 持つ人間。

 

「常識」を 持たない人間。

 

が、

肩で風切って 歩く。

大きな顔をして 生きる。

 

 

 

そんな世の中を

白い目で見ながら

気配を消して 生きる。

 

 

「ここ」で

愚痴りながら…

 

 

そう生きる。しか ない。

しんどい。