尊過ぎて切ない

人間ではない家族への溺愛

ドンピシャな言葉がない 犬猫への思い

何度か 書いた。

 

「好きも嫌いもないくらい

 犬猫に 何とも思って なかった」と…

 

 

不思議な「縁」で 犬猫が

「家族」に なった。

 

買ったわけじゃない。

 

何とも思ってないのに 買うわけ ない。

 

 

 

 

ペット用品を買う人の後ろで

レジ待ちする時

「飼わなければ そのお金

         使わなくていいのに〜」

と、思った事が ある。

 

 

テラスに座る 犬連れの人を見て

「飼わなければ 店内で食べれるのに〜」

と、思った事が ある。

 

 

真冬

車から 犬の散歩している人を見て

「うわ〜、飼わなければ〜、ねぇ〜」

と、思った。強く。強く。強く。

 

 

 

そんなん思ってた、チョイと後よ…

 

寝心地良さげな

ベッドやブランケットを見つけると 買う。

    ↑

税込2,000円以内なら。

 

 

寒い日 鼻水垂らしながら

テラス席で ランチした。

    ↑

6年間で 2回だけど。

 

 

弁慶の泣き所が 麻痺するほど

寒い日でも 散歩行く。

    ↑

なんなら台風の日も 行く。(来る前ね)

 

 

 

 

 

「あんな事 思ってたけど

        同じ事 やってる〜」

と、ニヤリ。

 

 

 

 

自分は 大事に思われてるのか?は、

「時間」「労力」「お金」

この3つを

自分の為に

使ってくれるか?

で、わかる。

と、我が子に 伝えてある。

 

 

 

私は もちろん我が子に 使う。

が、

犬のポチ(仮名)&猫のタマ(仮名)には

もっと使う。

 

我が子らは「話せる」

我が子らは「説明出来る」

我が子らは「希望を言える」

けど、

ポチとタマは 話せない。

「ここが 痛いんよ」

「ここに 違和感があるんよ」

「暑い〜or寒い〜」

色々 あると思う。

言いたい事。

 

「伝われ〜」って 見つめる。

ポチは 要求吠えが ない。

お座りして 見つめる。だけ。

 

あらかたは わかる。つもり。

時間見て「オシッコかな?」

寒いから「オシッコまたしたいかな?」

朝出なかったから「大きいの 出そう?」

色が細いから「フードじゃないの 欲しい?」

「抱っこ?」

「散歩?」

etc…

今までの 経験やら

その時の 時間やら

なんやかんやで 推測出来る。

100パー「正解」してないかもしれないけど

おおよそは 合ってる自信 ある。ある。

 

タマは おしゃべりさん。

いろんなパターンで 話しかけてくる。

残念な事に

私と同じ「言語」では ない。

けど、

必死の訴えは ひびきますよ。

「さっき食べたでしょう」

「んも〜可愛いなぁ ふた粒どうぞ」

「おしっこシート替えますよ」

「なでなで しようか?」

etc…

その時の状況で 推測する。しか ない。

 

 

お腹空いた〜

トイレしたい〜

暑い〜

寒い〜

痛い〜

不快〜

寂しい〜

 

そんなんは

大きくは

違わない。

と、思っている。人間と。

 

最適な気温とかは

「犬」「猫」「人間」で

違う事は 当然 知ってないといけない事。

 

 

 

ただ、ただ、

「可愛い」だけでは ダメ。

「癒される」という

自分の為だけでは ダメ。

 

 

じゃあ

「何の為」に 犬猫と 暮らす?

 

 

わからん。

 

 

犬猫の寿命は短い。

まっとうしたとして(犬と猫では違うけど)

特別にまっとうしたとして

20年程?

突発的な「何か」が起きて

まっとう出来ない場合は 

20年以下?

 

その20年程の

犬生・猫生が

「最高だった」と したい。

 

その為には

20年程の

人生を

「捧げる」事に なる。

 

なかなかの「時間」と「労力」。

 

突発的な「何か」が 起きないよう

「ん?」と思えば 病院。

年に2~3回の 定期検診。

まだまだ使えるうちに

ハーネスやリードの買い替え。

質の良いフード。

常にキレイなシート。

快適な気温と寝床。

 

手作りでダサいけど

タマが脱走しないように対策。

タマが運動不足にならないように

タマが退屈しないようにキャットウォーク。

ダサい手作りでも、

安全だけにはこだわり

既製品なみの 材料費だけど、

自分ちに ピッタリ。

 

なかなかの「お金」。

 

 

 

 

 

我が子らに

「ポチとタマに 20年程 捧げなさい」

とは 言えない。

 

人生は20年では ない。

 

けど、

人生の中での「20年」は 大きい。

 

この恐ろしい人間界で 生きていく為に

学ばなければならない事が ある。

たくさん。たくさん。

 

当然、我が子らにも

快適な気温と寝床がある「人生」を 願う。

 

 

 

 

 

私は、

景気の良い時代に 若者だった。

そこそこ遊んで 楽しい思いをした。

 

前に書いたように

保証人になって 人の借金を 背負った。

実家に住まわせてもらったおかげで返済済み。

 

お金は借りずに済んだけど

ずいぶん迷惑や心配をかけた両親が

早くに この世にオサラバした。

 

 

「親不孝」だった。

両親が 

可愛がってくれた私の子供へ、

私が出来る限りの事をする。

それが、私の出来る「親孝行」かな?

 

可愛がってくれた 上の子。

可愛がってくれたであろう 下の子。

 

私が

両親にしてもらったように

私も

我が子を 守る。

 

 

年齢によって

「守り方」は 変わる。

 

人間の子供は 大人になる。

 

我が子らは

「守る」から「見守る」へ 変わった。

 

 

ポチとタマは

「永遠の2~3歳児」

この世にオサラバする瞬間まで

「守る」必要が ある。

 

その役目は 私が 引き受ける。

 

 

 

犬猫を飼ってる人って

もっと気楽に飼ってんちゃう?

 

って 思う時 ある。

言われた事も ある。

 

 

でも ええわ。

 

人の事は ええわ。

 

ポチとタマに 留守番させてまで

外食しても 美味しないわ。

 

急いで食べても どこ入ったか?わからんわ。

 

 

 

ポチとタマとの別れの後

自分が後悔せん為に

自分の為にやる「自己満」や。

 

 

結局、

自分の「為」なだけの 

ずるい「人間」。

「人間」のやる事。

「人間」らしいわ。

 

ごめんな、おかしゃん「人間」で。

 

でも、

おかしゃんが「人間」だから

買い物してくるよ〜

病院連れてくよ〜

 

 

 

ポチとタマへの

思いを表すにふさわしい言葉は

この世に ない。