尊過ぎて切ない

人間ではない家族への溺愛

正解か否か

洗濯物をかけた、1900円のパイプハンガーを抱えてウッドデッキに出す。






犬が家族になった頃、

パイプハンガーを抱えたまま考えた。



並んで寝ている子供と犬、

「これ」をどちらの上で通すか?






子供の上で移動させた。(抱えて)


私はまたいでない。




「子供」と言うても「私の子供」

という意味で、「児童」ではない。






「犬」は、

「ここが痛い」等 説明が出来ない。





「ここが痛い」と子供は説明出来るけど

抱えたパイプハンガーは落とさない。












一緒に居ると、

「何がしたいのか」

「どうしてほしいのか」だいたい分かる。





「トイレしたかったけど、

オヤツくれるならラッキー」とか、

「小腹空いたけど、散歩でもいいよ」

とか…





「吠え」「ソワソワ」「見つめる」が

おさまったから、自分のやった事が

「正解」とは限らない。





「推測」は出来ても、

「答え合わせ」は出来ない。





「犬が◯◯な時、◯選」とかある。







動物博士だろうと何だろうと、

犬から直接聞いた人は1人もいない。






言いたい事、伝えたい気持ちを

言葉に出来ない犬は「不便」



愛する相手の「本当」を

完璧に当てられない人間は「不憫」







ウチのポチ(仮名)は要求吠えゼロ。




「お座り」して「見つめる」





「お利口にしてるでしょ?

だから◯◯お願いします。」

という事だと思うけど…


 

◯◯の解釈、正解なのか?



それが知りたい。