尊過ぎて切ない

人間ではない家族への溺愛

言わなくていい事を 思うのは いい はず

大きな「地震」の後、

「避難所」に

お邪魔していた。







「避難所」に入っては いけない

「生き物」が

「家族」になる前で よかった。







そういう場合「も」 考えれば

人間「以外」の生き物と

暮らす事に 慎重になるべき。





注:     今から

  「買う」とか「飼う」とかの 場合。





もうすでに、

「家族」になってるトコは

あらゆる

シチュエーションを

シュミレーション

しておく。べき。







「自分に関係のない 命」

「価値の無い 命」

「命の 優先順位」


そういうの

ネットで よく見るね。最近。



何か あったの〜?


少しは 知ってるけどね〜







私見

「思考」

って、

「環境」「経験」

によって 出来上がる。(私見





人から、

「そんな考え あらためろ」とか

言われても 無理。





自分自身で「しか」

考えを 変える事は 出来ない。







人の「頭ん中」なんか わかるわけ ない。







だから、

「発した」言葉で その人を判断 する。

「した」行いで その人を評価 する。






恐ろしい。

おぞましい。

「考え」や「想像」が

脳内にあっても、

表面上 1ミリも出してないのなら、

わからない&問題ない。








逆に、

ゆうて 強く思ってないけど

「注目浴びたくて〜」とか

「炎上ねらいで〜」とかで 言ってみて

人間性を 非難される。






自分が 何を 思っても 構わない。

自分が どう 考えても 構わない。



その人の勝手〜




でも、

「発言」

は、勝手〜では 済まない。






「善悪」の判断が つかない。

「自身」で考える事を しない。

と、いう人が 居る。


そういう人が

自分以外に「影響」される。





そういう人が

見たり聞いたりしたモノが

「悪」だとしたら、

その人の

「環境」「経験」が

「悪」になり、

「悪」の「私見」「思考」が 出来る。







「悪」の考えを聞いても

「んな アホなぁ〜」って、ならない。


そういう「環境」だった人は 残念。





その人「自身」の

「変わらなきゃ」という

「気付き」のみが

その人を 変える。








「気付き」


わりと好きな 言葉。


大事なのに 難しい。









「人間」の為の「世の中」。

「人間」の為の「ペット」。



番犬の為〜

癒やしてもらう為〜


「目的」は 様々。





が、

人間の他人より

人間以外の家族の方が 大事。

と、

いう人は 多い。と 思う。







「生き物」の命は「平等」


素晴らしい言葉。かもしれない。



でも、

ハエ叩きが堂々と 売られ、

アリの巣コロリを 置き

黒い嫌われ者にスプレーを かける。



生き物ですが…ねぇ…

屁理屈?






「人間」の命は 平等。

は、間違いない。



が、

命の「優先順位」は

人それぞれで 違う。




人それぞれ 大事な人が 違うから、

「あたりまえ」「当然」

だと 思う。





大事な「命」の為に

知らない「命」を どうこうする。

という 話では ない。







発端の人を かばう。とか ない。


その人に対しても

その人の発言に対しても

「無」だから。





ただ、

この件に関しての意見で

「人間優先が あたりまえ」

に、ちょっと…





「正解」or「不正解」

必ず選べ。と 言われたら、

「正解」と 答える。(仕方なく)



でも、

他人の誰よりも

自分んちの「犬猫」が 大事。

が、私の脳内。





それを、

友人や職場の人に 言う事は ない。





言ったとしても 親しい人は

「だろうね」と、言うだろうね。






「優先順位」

という言葉もだけど、

「価値」という言葉も

相手が「命」だと なんだかね。

胸が 苦しいね。











「処理グッズ、キチンと持ってます」的な 

アピール強めの お散歩バック持った、

犬と散歩してる人「ほど」

「落とし物」を して 行く。(私見